top of page
irnh2.jpg

​慰霊の日

​慰霊の日

沖縄慰霊の日(いれいのひ)は、沖縄戦で亡くなった人々を追悼するため、日本の沖縄県で毎年6月23日に定められた公休日です。日本全国で公休日として指定されいるわけではありません。沖縄戦は、太平洋戦争で日本領土で行われた唯一の地上戦でした。24万人以上が亡くなり、島内の多数の建物が破壊され、数え切れないほどの歴史文書、遺物、文化財が失われました。戦争犠牲者の約半数は地元沖縄住民で、その中には子供もいたと推定されています。

​”命どぅ宝”
サガリバナプロジェクト2024

バンクーバ沖縄太鼓は平和の想いを世界へ広げるため、創作芸団レキオス企画サガリバナプロジェクト2024に賛同し、イベント内にて同曲のエイサーパフォマンスを行います。

沖縄の先祖が残した言葉、物語、文化を、決して忘れることなく広めていきましょう。2024年6月23日の慰霊の日に戦争で命を落とした家族、子供、老人、兵士すべての人々を称え、決して忘れないようにするために、一緒に響き合いましょう。

 幼き頃の想い出
(テーマ曲・サガリバナの秘話) 

 1964年沖縄が激動の展開期を迎えた頃に私は生まれた。 1970年12月にアメリカ軍支配による反発するコザ暴動が始まり、それをきっかけに沖縄本土復帰運動が始まり、1972年5月15日に本土復帰、アメリカ統治下、琉球政府から日本国沖縄県と、 世に言う沖縄本土復帰である。 エキサイティングな時代に育った世代である。 

複雑な家庭に育った私は、多産の家庭の一番下に生まれ、上の姉、兄と親子くらいの年の差があり 

両親と歩くと祖父母と間違えられ、何時も恥ずかしい思いをしていました。 

 お酒の好きだった父は毎晩、晩酌と唄さんしんを引くのが、唯一の楽しみで、私は横に座り、酔っぱらっている父に、「泡盛はこんなに臭いのに美味しいの」とか、 右手の一指し・中・薬指が無く、親指と小指で器用にさんしんを引く父に、「どうしたの?どうして指がないの」とか、上の兄姉が恐れる父に対して、ベラベラと問いかけたのであった。 

昔のことは、話したがらない父に代わり、母が口を開いた、「皆昔の想い出は、今と違い戦争のいやな 

体験があるから話したくないのよ」 余計聞きたい思いが強くなり、なんでどうしてと問いかけた。 

重い口を父が開き、指が無いのも戦争で失い、兄弟・従兄など無くした話から始まった。 

海と空からアメリカ軍攻撃が闇夜に始まり、砲弾が暴風の如く吹き、近所に住む父母の兄弟や親戚もチリチリとなり、両親は当時3歳と2歳だった姉2人と1歳くらいの兄1人を抱きしめ名護の村中から現在の御佐喜お宮歩行へ駆け出した。 溝に母は膝を取られ、折れ曲がっていたらしく、爆音響き声も聞こえぬ中、 

 【ここから先は、自身が両親から聞いた沖縄語(うちなーぐちで)】 

ひんぎてぃくみそれー、うにげーやいびぃーくとぅ、ひんぎてぃ、くみそーれー 

(逃げてください、お願いだから、逃げてください) 

わらばーたぁー、そうてぃ、ひんぎてぃくみそーれー 

(子供達、つれて、にげてください) 

いやぁーうち、ひんぎーしやかねー、まじゅん、しぬしぇーまし、うちいからん 

(お前おいては、にげるより、一緒に死んだ方がましだ、おいてけない) 

わん、ながにかい、うっぱ、すくとぅ(俺の背中におぶる) 

 母をおぶり、母は長男を抱きかかえ、更に父は姉二人の手を強く、泣きわめく子供達を引きずり北部羽地方向へ駆け出した、木をかき分け道無き道の、今の羽地中学校辺り市内から12、3キロの距離の山手、道の無いところ何で30キロ以上は、息の切れることも忘れ程、必死に闇夜に光砲弾の明りの中、空を灰色雲に焼き降り注ぐ、地獄を逃げ回るとでもいうのでしょうか 。歌詞に書いてある東岳(あがりだけ)とは、羽地多野岳、標高385Mを逃げ回り頂上付近で 息を殺しひそんだ 爆音もおさまり夜明け、アメリカ軍も撤退したかと思い、頂上の木をかき分け、頂上から西と東海岸を見渡した。海岸にはアメリカと連合国艦隊の軍艦数えきれない程の数が、島を囲んでおり、愕然(がくぜん)と力を落とす両親、沖縄の太陽神の上る東の空は、戦闘機が舞い、日本は負けたのかと感じたと語っていた。 

その後両親は、羽地の捕虜収容所にとらわれ、しばらくして長男はマラリヤで亡くなり、姉二人は、栄養失調ながらも命はつないだ。 

 それからもこの話は、何回か聞かされ、母がこう述べた。 

「もし父さんがお母さんを置いて行っていったら、あなた達生れていなかったよ、たくさん苦労もしてけど、子供達が育ってくれて嬉しい。強いお父さんに感謝してね」と言われた幼い頃の想い出浮が蘇る。 

沖縄から世界へ
平和の響き「命どぅ宝」

2021年初夏の夜、名護市内入口にそびえたつ、ひんぷんガジュマル横の公演広場でのイベントの時、花の香に誘われ、辿ってみると見事に咲くサガリ花に感動を覚え、夜に咲き朝に散るこんなにも香りで 誘惑するのかなどと、ロマンス感に漂わされた。 

 丁度、県外出身の女性シンガーのYUMEさんから歌詞の依頼を受けていて、沖縄の悲しい戦争の歴史は、地元の人しか分からないと思うので、エイサーと自分が合う音楽を歌ってみたいとのことを 思い出し、サガリバナの花言葉「幸福が訪れる」をもとに原作し、彼女の作曲と知人にアドバイスを受け 一つの曲となった。 

 ピアノとエイサーの組み合わせは初めての志で、彼女主催イベントで共演間もなく 新形コロナ感染の影響で活動休止となり、2年程たった2023年8月子供の主催するイベントで 思い切ってレキオスのみで演舞してみた。 振り付け当初より格段と良くなっている演舞に心動かされ、再度YUMEさんに共演依頼し、より心の入った歌と演舞に、これなら大衆を魅了できると確信し、歌とエイサーで、鎮魂の想いで心を結び、世界へ平和とは何か「命どぅ宝」SAGARIBANAプロジェクトを企画実施に至りました。 沖縄の先人達が残してくれた言葉と文化を発信しようではないか、2024年6月23日沖縄戦戦没者慰霊の日に一斉に太鼓を響かせよう。 

bottom of page